「消費者コンプレックス」に見る現代オタクのあり方
この記事は2021-11-12にnoteに投稿したエッセイを再投稿したものです。
「消費者コンプレックス」についてご存じない方はソメヤさんによるこの記事をご参照ください。
本文
生産側に回らずに、コンテンツを生み出さない消費者になる。
ということに激しい劣等感を覚える感覚が卯月コウにより言語化され、一部界隈で唱えられるようになってきた。
過去、オタクもといファンはアイドルや野球選手など、才能に対して傾倒するものだった。
才能は生まれ持ったもので、自分も、だなんておこがましすぎて考えやしない。
だが、今、オタクの傾倒対象はアイドルから二次元へ二次元からVtuberへ、性別と次元の壁を超えてしまったのだ。
例えば特に卯月などは比較的「芸がない」人間だ、それは自身でも言っている。
つまりそれら推しが手を伸ばせば届きそうな場所にいるように見えてしまう。
要するに夢を見ることが簡単になってしまった分、見る見ないの選択肢を与えられた人間が大幅に増えてしまった。
才能があるのに生かさないことに対して罪悪感を覚える必要が出てきてしまった。
これまではサラリーマンをやって安月給を推しに貢ぐだけで良かったが、推しに近づき、さらに推しに並ぶことも行動によっては可能で、そうやって実際にしている人間がいることをオタクは目の当たりにしてしまう。
自分もできるかもという希望がオタクにオタクを辞めさせてしまうのだ。
剣持が「皆さんもエンターテイナー。一億総エンターテイナー時代がやってきております、皆さん。向上していかないと」(リスナーハンター【剣持刀也】)と語ったように、生産のためのカードは至るところにある。
しかも例えば配信では、参加と同時にコメントという生産の選択肢を与えられてしまう。
全オタクは消費者だけであることに強い意志を持たなければいけない。
又は生産者でなくてはならない、ましてや剣持刀也には高い向上心を持って挑むことを要求されているのだ。
消費者コンプレックスを感じてそれでも未来を作らない(製作側に回らない)というのは、行動しない自分を俯瞰して後悔するという一連の動きにエネルギーを消費しているために気持ち悪さを残す。
このコンプレックス打破に最も有効な手は自分の満足の行く最も少ない努力をして、自分を騙していないと自分を騙すことだ。
問題はその少ない努力で自分自身を認められなければ、また更にコンプレックスが重なるだけと言う所に問題があるのだろうが
追記として
この記事は僕のnoteにおける処女作であり、初めはメモとして自分の心理的な気持ち悪さの整理のためにメモソフトに書きつけたものを多少公正したものです。
消費者コンプレックスという感覚は公開できないからこそ感じるものであって、noteで下書きをしている今も感じています。
ですが、公開して何かしらの反応をいただければそれは既に僕が生産側に回ってしまったという事になり、一時的に呪縛から開放されることになるのでしょう。
何が言いたいのかと言うと、
呪縛から開放されている人間の語る消費者コンプレックスは既にもう僕らの感じているコンプレックスではなく、
一段上から過去を振り返ることで語っているという事です。
決して僕らの感覚がそのままの形で発信されることはありません。
生産者には理解できないが消費者は発信できないという構造のため、処女作、又は追憶としてでしか周知させることができないものです。
そのような感覚が言語化されたのはライブ文化、VTuber文化、ひいては卯月コウの誕生に依る所が少なからずあります。
まぁ根本原因もそのあたりにあるような気がしますが……
ともかく、それを認知できるようになったことは僥倖で、だからこそ我々は向き合うべきなのだと感じます。
この記事によってコンプレックスと向き合い新たな一歩を踏み出せる方がいらっしゃれば幸いです。